オフコース

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    オフコース: 僕の贈りもの(紙ジャケット仕様)

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    オフコース: ワインの匂い(紙ジャケット仕様)
    1975年12月20日に発売されたオフコース(当時の表記はオフ・コース)通算3作目のオリジナルアルバム。 このアルバムから武藤敏史がプロデューサーとして参加。以後、『FAIRWAY』(1978年10月5日発売 ETP-80040)までプロデュースを手がける。武藤は1973年4月に東芝音楽工業(当時)入社。トワ・エ・モワやりりィなどをプロデュース後、怪我のため一時休養。オフコースを担当する話が持ち上がったのは入院中のこと。「病院に、当時の制作部長が見舞いに来てくれた時、『オフコース知ってるか』って言われて。もちろん知らないはずがない。僕は学生時代から知ってたし。それでプロデュースするのはどうか聞かれたけど、もう半年近く入院していて、果たして自分は治って仕事に戻れるか不安だったし、それを考えるほうが先決だったから、すぐに返事はできなかった」と、そのきっかけについて答えている。 プロデューサー交代の話し合いは武藤の快復を待つということで一時宙に浮き、退院後改めて検討され、武藤は小田 • 鈴木と会った。そのときの印象を武藤は「第一印象は、みんなが言うほどとっつきにくいという感じはなかった。いきなり音楽の話から入ったし、音楽ってのは遠慮もなにもないからね。それに、とっつきにくいっていうのはそう見えるだけであって中味はそうじゃない。ホットでしょう。それがすぐ分かったし」と答え、プロデュースを担当することが決まったことについては「担当することになった時は、もうどうしようかと思うくらい嬉しかった。素晴らしいグループだし、やってみたかったし。でも嬉しい反面、相当な大物だからね。分かる人にはわかるわけ、彼らが凄い人たちだっていうことは。僕が学生時代に音楽をやっていた頃から、その辺の人たちにオフコースの存在は有名だった。みんながスリー・コードで誰にでも弾ける音楽をやっている時代に、すでにしっかりしたコードで、きちっとした音楽性でやっていたし、メッセージ・フォークが主流になった頃も“メッセージがないと音楽をやる人間じゃない”みたいな雰囲気の中で勇気を持って音楽一本槍でやっていた。素晴らしいことだと思ってたね、ずっと。だから、音楽的には凄くやりたかったけど、大物だし、うまく近づけるかとか、不安はいっぱいあった。でも若かったし夢中だったから、いろんなこと全部あわせても、やりたいと思った」と、答えている。 A-1「雨の降る日に」のイントロで聞かれる車の走行音は、レコーディング最終日に豪雨の中、小田が当時の愛車トヨタ・セリカを走らせ、その音を録音したもの。 A-3「眠れぬ夜」は、小田が書いた当初はバラードだったが(鈴木曰く「透明な感じ」)、「それまでのアルバムには無条件に理屈抜きに楽しめるような曲や、シンプルな曲が少なすぎたのではないか」という武藤の助言により8ビートにリアレンジされた。 A-5「ワインの匂い」は初めて荒井由実のステージを見たときにまとめた曲だと小田は後に雑誌のインタビューで答えている。しかし、一部のファンには「ユーミンに捧げた曲」と話が変質して理解されてしまい、ギターブックでの小田宛の質問にそのような内容が垣間見られる(もちろん小田は正しいいきさつを説明している)。後に小田が「こころ」(2007年8月15日発売 FHDL-7004)のカップリングとしてセルフカヴァーした。 B-1「憂き世に」で矢沢透が演奏した楽器としてクレジットされている“Tawanji(タワンジ)”とは、たわしとスポンジのこと。当初はマラカスを使う予定だったが納得いく音が出せず、矢沢の発案でたわしでスポンジを擦った。 B-3「雨よ激しく」は後に鈴木がアルバム『FORWARD』(2004年12月8日発売 TOCT-25563)にてセルフカヴァーした。 B-4「愛の唄」は「カーペンターズに歌ってもらえないか」と考え、1976年に「I’ll Be Coming Home」という英語版を制作しデモテープを送った。結局実現はしなかったがリチャード・カーペンターから「確かにあの時、オフコースのデモテープは届いていた」と、コメントを貰ったという。後に小田が「伝えたいことがあるんだ」(1997年7月24日発売 FHDL-1106)のカップリングとしてセルフカヴァーし、『LOOKING BACK 2』(2001年5月16日発売 FHCL-2018)にも収録された。 B-6「老人のつぶやき」は、NHK『みんなのうた』への曲提供依頼を受けて作ったが採用を断られた曲。 ジャケット写真は新宿御苑で撮影された。

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    オフコース: Three and two(紙ジャケット仕様)
    1979年10月20日に発売されたオフコース通算7作目のオリジナルアルバム。田園コロシアムでのコンサート直前の1979年8月1日、清水仁、大間ジロー、松尾一彦の3人は、正式にオフコースのメンバーとして加入した。アルバムは『Three and Two』とタイトルが付けられた。“ SIDE A 思いのままに (4’42”) 小田和正 • 作詩 • 作曲 恋を抱きしめよう (4’05”) 鈴木康博 • 作詩 • 作曲 その時はじめて (4’19”) 小田和正 • 作詩 • 作曲 歴史は夜つくられる (4’11”) 鈴木康博 • 作詩 • 作曲 愛を止めないで (3’49”) SAVE THE LOVE (8’19”) 鈴木康博 • 作詩 • 作曲 汐風のなかで (3’49”) 鈴木康博 • 作詩 • 作曲 愛あるところへ (4’48”) 小田和正 • 作詩 • 作曲 生まれ来る子供たちのために (4’53”) 小田和正 • 作詩 • 作曲 ~「いつもいつも」(1979.8.5 田園コロシアム ライブより)

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    オフコース: over(紙)

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    オフコース: SELECTION1978-81(紙ジャケット仕様)

PETAPPA

  • http://bentouya.osatani.com/offindex.htm

オンライン状態

オフコースが再結成されないのは

オフコースだけは再結成されない、
TULIPやアリスなどは何回も何回もおしげもなく、再結成されてる。

再結成されないほうがいいんだ。

そういう意見もおおい、思いでの中にしまっておきたい、そういう気分からか。

アリスの谷村さんも、ラジオで、オフコースやればいいのに、とかいっていた、
一番の問題は、小田さんである、彼の中では頑固に、再結成しない、

そこだけであるとおもう。ほかのメンバーはOkみたい、

なぜに、小田さんがNGか、

小田さんがLOOKINGBACKというCDを出して、オフコース時代の自分の
歌を編曲しなおして出した、もうだいぶ前、

ヒットはしたが、いわゆる、オフコースをコピーしていたような「男性ファン」たちからは
非難ごうごうであった。
オフコースの歌の素晴らしさは、緩急であったり、パーカッションであったり、
ハーモニカであったり、アレンジがすばらしかった。

小田さんがオフコース時代のメンバーに申し訳ない、という意味と
いつでもその歌がそのアレンジでよかったのか、という実験的なもの

セールス的には成功し、後のCMなどの提供や、クリスマスの約束 というテレビにも
つながる、足ががりともなる。

「言葉に出来ない」という歌が違う表現で別の歌としてよみがえり、
家族愛というものの新境地への小田ワールドがひろがっていった、

それと、もうひとつ、彼の中では
ヤスの脱退が心の中で消化できず、その傷が癒えることはなく
罪にさえ感じているのではないだろうか、

ヤス自身もながらく、封印していた、オフコース時代のうた、

まったく、それぞれの人生の生き方が違う、

その後の人生を歩んでもうだいぶになる。

5人から4人になり、なんとか、やった、それだけでも精一杯であったのか、

でも、僕の意見としては見たい。再結成として、まったくあたらしいものをできるはず、
Iloveyou1

2011年2月24日 (木)

今の音楽はどうだろう

オフコースの人々は全部、自前でなんとかしようとして。 それは駆け出しの時に苦労し...

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2011年2月20日 (日)

オフコースの音楽。

オフコースの演奏のうまさは定評。 しかし、最初からうまいのではない、 何回も何回...

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2011年2月 7日 (月)

オフコース解散のはなし・・。

オフコースの会報、オフコースブック21に解散までの話が載っている。 オフコースが...

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2011年1月26日 (水)

オフコースのサイト

オフコースのサイトを再び再構築してゆきたいと おもい、すこしずつやってゆきます。...

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2008年6月22日 (日)

忘れ雪事件

おさらば のあと、僕のおくりもの もう歌はつくれないなど
その後に続く歌を出したにもかかわらず、またもや
人の作品でシングルをだすことになった、スタッフたちは彼らの潜在能力に期待かけていたんだろうとおもう。 いわゆる、 忘れ雪 事件の 忘れ雪である。


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翌年にイルカが皮肉にも
あの名曲、なごり雪をヒットさせた、その前に、忘れ雪 というのがあった。
そのころ売れ始めていた、さだまさしの グレープ が 「精霊ながし」をヒットさせ、にたような
感じで、レコード会社はださせたのである。しかも、松本隆&筒美京平コンビという絶対に
売るぞ!的な感じです。
もう、彼らはそろそろ、音楽というか、芸能生活にあきあきしだしたのですか?
人間不信になったのか。
リサイタルで、この歌を歌うの拒否したのです。
すごいことです。ようやく、自我にめざまたのですかね。友人たちはもうとっくに卒業し
ばりばり、働き、しかし、自分たちは、売れないし、ロングヘアーで学生みたいで
親とか兄弟とか文句いわれたんですかね・・・僕の推論
1974年10月26日 中野サンプラザ その時、歴史はうごいた。

レコード会社の人たちは。きっと、激怒しただろう。せっかく、大先生にたのんで
プロモーションもしただろう。しかし、大事なそのコンサートで、その歌を売るためだけの目的のコンサートで。。

コンサートがおわり、控え室で・・
大物レコード会社幹部
 「 ええ、小田君、鈴木君、、、これは。どういうこと?なぜ、忘れ雪 とばしたの?」
小田 「 あああ。はい」
大物 「 あああ、忘れタンだよね、いまからアンコールでもするか?」
鈴木 「 ええ、 あの、話があるんです。」
大物 「 どーいうことなの?聞かせて、」
小田 「 歌いたくないんです。」 こぶしをにぎりしめ下をみながら、伏せ目で、見る。

鈴木 「 俺たちのリサイタルは、俺たちの歌を歌いたかったんです!!」
 
一瞬、時間がとまる、気まずい空気がながれる、

大物 「 君たちは、ほんと甘い!若いからしかたないが、みてみろ、いままでのセールス
ああ、どれだけ君たちに期待して投資してきたかわかるか?松本先生もきょうへい先生も
どれだけお金がかかってるんだと、おもってるんだ!!いいかげんにしろ!
甘えるのもほどがあるぞ!」 
つばをとばしながら叫ぶ。周りの人だかりができる。

小田 「 ぼくたちはいつも、自分たちの歌をうたいたい、ずっとそうおもってました。いつか、
自分たちの歌がうたえるだろうと、、でも、今回はすいませんでした。でも、・・
歌いたくない。。」

大物 「 ・・・・ かえるわ、疲れた・・・」
大物が帰るあとで
小田 「 これでよかったんだな。」
鈴木 「 作戦成功だ、なるようになるさ・・俺たちは好きな音楽やるために大学や就職をけってまでやってるんだ。あとはないさ、くいのないようにやればいい。」 
つぶやくように、言った。すがすがしい風が、中野の町を流れた。

以上、私の創作 忘れ雪事件 。

実際、後のコメントでは、「売りたい」という気持ちがなく、好きな音楽を好きなだけしたい
という純粋な青年であったのだ。
Raibu

翌年、「 ワインの匂い 」LPがでた。この作品でオフコースのスタイルがきまり、
人気は出始め、 さよなら 大ヒットまで、まだ4年・・・

しかし、その4年間の期間にでたLPは、いまでもファンにあいされているすばらしい作品がおおい。

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2008年5月29日 (木)

雨の降る日に Off Course

オフコース
正しくは オフ・コースである時代。
アルバム「ワインの匂い」
のなかの歌。
この歌の冒頭に出る効果音は、実際に小田さんが愛車セリカを雨の中を走行し録音。
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2008年5月13日 (火)

秋ゆく街で オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート

秋ゆく街で オフ・コース・ライヴ・イン・コンサートHcfqw662img600x4501150604834off_cou
Raibu
音源のレベルが低いので、残念のきわみだが
それに、わざと、MCのボリュームも下げていて
カットもされていて、
残念。
ほとんどが、ヤスのメインボーカル、
小田さんは、控えめにコーラスしている、
1974年といえば、オフコースはもう、5年目、
LPをなんとか、2枚だし、
しかし、友人、同期たちは、ほとんど、ヒットだし、先に行っていた。

1975年のオフコースカンパニーの設立や、大間、松尾、仁の参加はまだない、
当時1974年を振り返って、小田さんは。

「 売れたいとは、まったく、思わなかった、好きな音楽をして、
 周りのファンのひとたちと、たのしく、やっていた。」
解散まえの、写真集でコメントしている。

1,WHAT’S GOIN’ ON (3:51)
2,MEDLEY~YOUR SONG~WHERE IS THE LOVE~YOU MAKE ME FEEL BRAND NEW~YOU ARE EVERYTHING~I WON’T LAST A DAY (6:12)
3,竹田の子守唄 (2:33)
4,白い一日 (3:11)
5,メドレー~悩み多き者よ~傘がない (7:58)
6,青春 (3:22)
7,秋ゆく街で (3:06)
8,水曜日の午後 (2:41)
9,僕の贈りもの (1:59)
10,のがすなチャンスを (2:41)
11,白い帽子 (3:00)
12,別れの情景(I) (3:17)
13,キリストは来ないだろう (4:43)
14,でももう花はいらない (8:17)
15,僕の贈りもの(アンコール) (2:57)

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2008年4月23日 (水)

I LOVE YOU

Airabu
通算21枚目のシングル。
I LOVE YOU」は1981年9月1日発売のベストアルバム『SELECTION 1978-81』に収録され、その後再レコーディングされたテイクが1982年7月1日発売のアルバム『I LOVE YOU』にアルバムバージョンとして収録された。
夜はふたりで というBの歌の扱いがわるい、いつもながら
この歌もいい歌。

このジャケットはタイプライターで打たれた紙が写っているデザインで、最後の2行は次のコンサートツアーが1982年1月から始まることを伝える文章になっている。レコード発売の駅貼り用ポスターは国会の強行採決の写真が使用されているが、“政治家の顔がはっきりしなければ”との条件付きで許可された。

オリジナルアルバムに収録された方には、曲の途中でジョン・レノンの訃報が入れられた事でも話題となった。


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2008年4月22日 (火)

オフコース この道を行けば オフコース・ラウンド2

この道をゆけば / オフ・コース・ラウンド2は、1974年5月5日に発売されたオ...

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2008年4月21日 (月)

オフコース  「愛の中へ」

1981年12月1日に発売されたオフコース通算22枚目のシングル 。 1982年...

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«オフコース 愛を止めないで

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